多くのプロに囲まれた私は何のプロなのか?

どもー代表の峯です。今週もハードワークではなくディープワークな濃密な一週間でした。でも1日だけ・・今週1日だけ何をやってもモチベーション上がらず、何もアイデアが降ってこず、何もしたくない!と思う日がありました。その日は、ほんとコーヒー飲んでボーっとするほかありません。しょうがないよね人間だもの、とまにそういう日もあります。でも不思議とそういう日って何もスケジュール入っていない日なんですよね。逆説的に考えると、常に忙しく動き回って、バリバリ提案書書いて、いろいろ人にあっている方が様々なアイデアがポンポン湧いてきますし、ノリノリで提案書書けてる気がします。仮説ですが私にとって暇な時間というのは甘美な毒薬かもしれません。プロのアスリートやアーティストが常に練習を怠らないのと似ているのかもしれません。というわけで、峯さん忙しそうだからと遠慮せずにドンドン来て下さい!

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さて、プロと言えば、私の周りにはたくさんのプロが居ます。医師や薬剤師、看護師と言った医療のプロも居ますし、介護士やケアマネと言った介護のプロも居ます。プロの定義は様々ですが、資格を持った人というだけではありません。その道で稼ぐことが出来る人は総じてプロと言えるでしょう。弊社の五百川など、私のスケジュール調整力や事務能力は私から言わせれば、もはや職人芸です(笑)

そんな優秀なプロに囲まれた私は何かのプロと言えるのか?と、ふと立ち止まって考える事があります。

そんな時、いつも思い出すのは、師匠の言葉です。私の人生において2人の師匠が居ます。まぁ私が勝手に師匠と慕っているだけですので、厳密に師弟関係とは少し違うかもしれませんが、私は師と仰いでおります。ちょっと私のネタ帳に書いてある、二人の師匠の語録を紹介しましょう。

デザインの師匠

元々師匠はフリーランサーという言葉がない時代からのフリーランサーです。なのでフリーランスとしての挟持やクライアントとの交渉術、デザイン思考など様々な事を学びました。

「ジュエリーのデザインをしたければ四畳半一間のアパートに住んでいてはダメだ。富裕層の生活を知らなくてどうして彼らが欲しがるアクセサリーのデザインができようか?、借金してでもアルマーニのスーツ着てポルシェ乗って毎夜六本木で飲み歩く生活をしなさい」

私が今でも現場主義なのはこの言葉に強烈にインスパイアされたからです。お客様のことをお客様以上に理解し彼らの潜在的欲求(需要)を満たすことがビジネスの本質だと理解しました。

ビジネスの師匠

某デパートの外商部で企画担当だった方です。私の企画した製品を売り込みに行った先の担当者だった方だったのですが、どういうわけか気に入られ、その後様々な形で教えを頂きました。とにかくスケールの大きさ、実行力の凄さ、組織に居ながら組織の枠を自分で広げられる柔軟性は憧れにも近いものがありました。

 「自分が苦手なことを頑張ってやるより、得意な人にやってもらったほうが遥かにクォリティ高い。人を見る目は優れているんだから、むしろ秀でた人をどれだけ動かせるかで勝負したほうがいいね」

当時、なんでも器用にこなす事はできてましたが、器用貧乏になっていたのも事実。いたずらに忙しく、やりたいことが回らない、そんなときでした。恐らく見抜かれていたのでしょう。一介のデザイナーとしてではなく、プロデューサー的な役割が向いていると言われたのは初めてだったので、よく覚えています。それ以降、自分で出来ることでも人に振り、自分は複数同時に回す。今風に言えば自分をグロースする術を身に着けたのはこの時からだった気がします。

話がそれてしまいましたが、結局私は何のプロなのか?・・今は、やっぱりゼロイチで多くのプロを巻き込んで世界を創っていく「協創」かな?

ま、そんなところで。

有言速攻を実現するブレない事の重要性

どもー代表の峯です。今週は長年の大きな夢の実現に向け大きな合意を取り付ける事に成功しました。医療に世界を良くしてきますよ!

さて、私はFacebook大好きなんですが、過去の発言(投稿)をたまーに眺めていると、なかなかいいこと言ってる日もあります(笑)私の座右の銘は「有言速攻」です。言ったからには即取り掛かり必ず実行する。ここで重要なのはブレないことです。言ったことが変わってしまうというのは結局自分の中で芯が据わっていないという事です。そんな軽い言葉で経営は出来ません。

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経営者の言葉は時に会社やスタッフへの号令になりますし、株主や社会に対するコミットになります。過去の発言見て、今も同じ思いである事を確認しつつ、ブレていないという事を再確認した今日このごろです。

2015年4月のある日・・

手段を目的にしないという事を言っています。今でもそうですね。必ずしもIT化だけが正解ではありません。アナログな方法の良さを再確認し、ITで補完するというのも一つの方法です。そして役割分担やマネージメント、自分自身をどうグロースするか?という事の大切さについて気づき始めているようです。
よしっブレてない!

2013年4月の同日・・・

4年前ですね、まだ起業前ですが・・悩んでますねー、やりたいことと、やらねばならないこと、そのバランスに心折れそうになってます。当時、確か昇進してスタッフからマネージャーへ会社から求められる役割がかわる貴重な瞬間です。誰しも通る道でしょうか?
この時、すでに自分で手を動かすことを封じるという事が自分や仕事の領域をグロースするという事に気づき始めてます。ただ心に余裕はなさそうですね。まだそれが正しいかどうかも揺れているようです。でも結果としてブレてない!

弊社から一人、卒業生を輩出しました!

どもー代表の峯です。春は出会いと別れの季節と申します。かくいう弊社も創業期より約2年半に渡ってシェアメディカルを支えてくれた、吉野が卒業しました。

あの日、2014年9月1日創業初日も雨でした・・初めて融資が決まった日も、契約が決まった日もきまって弊社の重要イベントは常に雨でした。そう吉野が参画したあの日も雨でした。そして今日も・・・

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また何も無い時から私の「医療の世界をICTを使って良くしたい」という理念だけに共感してくれて、社員第一号として飛び込んできてくれました。彼が実務を支えてくれたおかげて私はメディラインの開発と経営に没頭できました。今はほんと感謝の気持ちでいっぱいです。

とはいえ4月からも業務委託としてしばらく弊社を陰日向と支えてくれます。他にも何やらデータスポーツ分野やら、新しいヘルスケア領域でいろいろ考えているようです。

私の目標は一人でも医療ICTプレーヤーを、仲間を増やすことです。吉野もきっと私と違う領域でやはり同じように医療や健康をICTを使って改善しようと試みようと考えてるのでしょう。応援したいと思います!

明日から新年度です。気持も新たに、いろいろ仕掛けてまいります!、どうぞご期待ください。

 

 

社内行事というものに憧れて桜の季節なのでお花見を行いました!

どもー代表の峯です。東京では桜の開花が宣言されましたけど、毎日寒いですよね。
さて、弊社のスタッフや弊社を支えていただいている医師や株主など多くの方との懇親会をかねて、お花見を企画しました。

元々は、「社内行事でお花見したいね」と私がこぼしたのが始まりです。

というのも、私は自分のキャリアを振り返った時、仕事を遂行する時は常に一人でした。別に人が嫌いなわけでも華やかな所が苦手でもないですし、コミュ障という病識もないんですが、自分のペースで仕事を行うには一人のほうがやりやすかったのかもしれません。

というわけでボッチ孤高な私はあまり社内行事というものに縁がなく、せいぜい歓送迎会に出る程度でだったので、社員旅行とかバーベキューとか純粋に憧れがあったのかもしれません。

でも、今は優秀なスタッフにも恵まれ、支援していただいている多くの方にも恵まれ、チームや組織で仕事をするというスタイルを新鮮な気持ちで、発見と感謝に溢れた日々を送っています。大変ありがたいことです。

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話はそれてしまいましたが、お花見を企画したものの、ブルーシート広げて場所取りして・・というのもありますが、そんな若手ベンチャーじゃないしなぁと思っていたら、広報の五百川が「カナルカフェどうですか?」と。調べてみると、飯田橋のお堀端にあるオシャレなカフェです。そういやJR乗ってる時に車窓から見えます。

www.canalcafe.jp

私はこういうのに疎いので助かります、ただお花見シーズンは予約が難しいとのこと。しかし行動力では負けません!、たまたま別件でアポがあったので、寄り道して直接お店行って予約行ってきました。Yeees!!

当日は13人もお越しいただき感謝の極みです。3月の夜はほぼ埋まっているけど偶然24日だけ空いていたとの事で駆けつけていただいたドクターも、峯さんからのお誘いなら!とスケジュール調整頂いた方々も、大阪から駆けつけていただいた株主さまも、そしてホスト側として切り盛りしてくれたスタッフの姿を見て、私の中では、やっと一人ではないということを実感出来ました。
『つなぐ』を社是として掲げてまいりました、今が、その繋がりを強く感じます。欣喜雀躍の思いです。ありがとうございました。

また季節折々で企画してまいりたいと思います。どうぞ宜しくお願いします!

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最期に、お花見なのに桜の話がないじゃないか?、とツッコミ入りそうなので言い訳しますと、はい・・東京は開花宣言は早かったものの、まだほとんど咲いてませんでした(笑)
写真は地元、成城の桜です。当日咲いてるのを撮りました。こんな感じでバーンと、お堀端が桜色に染まる予定だったんですが・・まぁ気持ちでカバーです!想像力は大切です!

経営者の不安の正体は情報不足から生じるアンヒバレンスな精神の暴走が原因

どもー代表の峯です。今週は雑誌対談やインタビューなどがありました。覚悟を持った医療者やベンチャー経営者と話をすると、自分も身が引き締まる思いです。そのあたりは広報の五百川が、せっと書いてくれていると思いますのでお楽しみに。

さて、起業して気心知れた仲間と数人でやってるうちは、なんとなく回っていけますが、事業が拡大していき、やがて人材紹介会社や求人誌などから採用を行いスタッフの人数も増えて、だんだんと組織として活動が始まると、経営者が決済する一つ一つのタスクの重みがかわってきます。それは全てにおいて仮に第三者からの問があった時に合理的に説明可能にしなければならなくなるという事です。

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私も大きな契約や決裁を行う時は、それなりに緊張します。この代表印を押せば全てが動き出すという瞬間のいわばスイッチを押す事です。それは楽しみであり、でも万が一があれば・・という恐怖も同居しています。

この楽しみと恐れのような両方の感情を抱く精神状態を心理学ではアンビバレンス(両価性)と言います。経営者は常にアンヒバレンスな状況に晒されていると言っていいでしょう。上場企業の経営者はメンタル強いんだろうなぁといつも感心します。

バランスが取れている、あるいは楽しみな感情が勝っていれば、それは前向きです。では、恐怖の感情が勝った時どう解消したらいいのでしょう?。一番困った事態が「逆説的な反応」起こすことです。例えば子供に勉強しなさい!と強要すると、反抗して勉強しなくなる、好きな娘に好かれたいという思いから、わざと嫌がらせをするというのも一種の「逆説的な反応」です。大人の場合はモチベーションが下がったり、迷いからミスを起こしたりすることも多いでしょう。

私とて人間ですから経営者である以上常に真剣勝負です。真剣であればあるほど、楽なジャッジなど一つもありません。時に本当にこの判断で良いのか?、恐怖する事もあります。

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でも、そんな時意識しているのが「怖い」と「恐い」の違いです。辞書をひくとニアイコールでどちらでも同じ意味として使われます。ですが、「怖い」は主観的な恐怖、「恐い」は客観的な恐怖を表していると言われます。

漠然とした恐怖が沸き起こった時、重要なジャッジを行う前に、自分に問うのです、この恐怖は「怖い」のかまたは「恐い」のか?

もし自身の経験や知識に照らして主観的に「怖い」と感じているなら、そのジャッジは慎重であるべきです。対して自分自身には直接影響がない、例えて言えば、占いの結果が悪いとか、今日は仏滅とか客観的な「恐さ」であれば、それは周りのスタッフなどと相談するなりして解消可能な問題でしょう。

いずれにしても恐怖とは情報不足から発生します。情報不足を補い精神を安定させるため、脳は過去の様々な経験や知りうる情報で補完しようとします。だから、ただの柳が幽霊に見えちゃうわけです。

判断に迷いが生じる恐怖に打ち勝つのが経営者ではありません。常日頃から情報を得て、恐怖を感じないような精神状態で臨むのが経営ではないかと私は思います。

津波が私の自信をすべて押し流した #311

3.11・・・津波が私の自信をすべて押し流した

2011年のあの日・・幸い大きな被害はなかったネットも生きていた、そこで目撃したのは映画のような大津波の映像。テレビの前で「早く逃げろ!」と叫ぶしかなかった、今思えばあの時から私の人生は大きく変わったと言っていい。

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それまでの私は名実ともに医療ICT推進に全力を傾けていた。医療界はIT化が遅れている。社会保障財源の増大を抑制し皆保険制度の崩壊を防ぐ特効薬だと信じて疑わなかったし、これに異を唱えるものは誰であろうと既得権者であり抵抗勢力であると徹底して戦っていた。でもあの日・・あの日を境に私の自信、信じてきたプランはもろくも崩れ去った。

私は何もできなかった、何もなくなった更地の街をテレビで見るしかなかった。一方、多くの医師や薬剤師が現地入りして避難所で活動を始めるニュースを知る。私の友人の医師や薬剤師も、災害派遣医療チーム(DMAT)の一員として自分のクリニックや薬局を閉めて現地入りしている。その姿を目の当たりにし何もできない無力な自分を恥じた。

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私は何も仕事が手がつかなくなった、出来ることと言えば、Twitterで寄せられる膨大な救援依頼の中からデマや嘘を精査し適切な人や組織に転送するくらい。こんなことしか出来ない自分が悔しかった、でもそれくらいしかできなかった。

医療ICTは役立たないのか?

被災地は携帯のアンテナ基地もことごとく破壊した、スマートフォンはあっても通信できないので役に立たない。現地の医療者からは、刻々と悲痛な叫び声が聞こえる。被災者は自分がどんな薬を飲んでいたのかわからないという、そこでTwitterで知り合った薬剤師らと協力し疾患ごとに多く処方される薬をリスト化し探せるようにしよう!、プロジェクトはわずか数時間で決まり、完成まで数日、会ったこともない人たちと協力し、出来ることを分担。驚くべきスピードで仕上げていく。それらは現地医療者のツールとして役立ったという。

被災地で使える「服用薬確認シート」
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/di/trend/201103/519025.html

まだ出来る!災害時でも利用できるアプリを作るんだ!、私は何かに取り憑かれたようにアプリ開発を企画する。日本の処方医薬品は約2万種、それをタブレットで検索する、しかも一切ネットワークが途絶した環境でもスタンドアロンで動き、ネットに繋がれば平時は自動で更新し情報は常に最新に保つ、そんな無茶な要求にエンジニアも巻き込み一つ一つ困難を技術課題を解決していった。

添付文書 Pro

添付文書 Pro

  • QLife. Inc.
  • メディカル
  • 無料

 

医療ITとは・・・それを推進した自分を全否定された瞬間を目撃する

ある時、被災地のクリニックの医師の姿の映像を見た。今でも鮮明に覚えている。医師は瓦礫の中から、泥だらけの紙のカルテを掘り出し、綺麗に洗い、窓ガラスに貼り付けて乾かしていく、、、「これで患者さんの記録がわかります」そう医師は言った。電子カルテシステムは津波の海水に浸かり修復不能だという。私は膝から崩れ落ちた。結局、私が得意気になっていた医療ITは巨大な災害の前には無力であり、否定し続けてきた紙のカルテなどアナログなツールが日の目を浴びている。すべてを否定された気がした。それ以上に、限られた環境で必死に命をつなぐ医師の姿に心打たれた。

自己否定と無力感に心が壊れかける

日常を取り戻しつつある日々の中で、東京オリンピックも決まった。でも私はあの時のまま、エンジニアとして、医療ITに携わるものとして、もっと出来ることはなかったのだろうか?、あの時のような妙な高揚感はない自己否定と無力感だけが残った。大きな災害や事故から奇跡的に生還した人々を襲うサバイバーズギルト。そんな状況に近い、私は何をやっているのだろう?、迷いは日増しに高まる。ほんとうにこのままで良いのだろうか?

起業を決意、医療の世界に骨を埋める

東日本大震災から3年の2014年3月「もっと臨床現場で働きたい」私は愛着ある会社を退社を決意する。何か勝算があったわけではない、家族も居る、歳も40超えている。気軽に挑戦できるものではない、辛く険しい挑戦かもしれない。それでも、医療の現状、携わる多くの医療者の苦悩、そして被災地で更地になったクリニックで必死にカルテを探し、治療を続ける医師の姿が目から離れない。私は知ってしまった、変えられるのは今しかないし、そして変えるのは他の誰でもなく私でありたいと願った。私は自分が敷いたレールを外れる決断をした。

それでも確信はあった、私は多くの医療者同士が安心してコミュニケーションを取る専用ツールがないことを知っていた。コミュニケーションこそ人間の原点だ、ツールは道具でしか無い、プロ同士が安心してつながるツールを作ろう!そうして『メディライン』を作った。これから、訪問診療などで多くの医療者が外に行くケースが増えるだろう。メディラインを使ってほしい、私は、いつの日か、メディラインという名詞が動詞に変わることを願っている。「メディラインしとして!」と電話のように医療者なら誰でも使うツールを夢見ている。

まだ道のりは険しい、でも仲間とともにこの道を歩んでいきたい。いずれ自分も老いてくれば医療のお世話になる時もこよう、その時、若い医師がメディラインを当たり前に使う姿を見たい。

www.mediline.jp

今日生きたかった全ての犠牲者に黙祷

私心なく働く人に部下は従う

どもー代表の峯です。一週間なんてあっという間ですね。

3月に入りました。実は早々から嫌な予感が的中してしまいました。毎年3月は突然物事が動くので警戒はしていたのですが・・・この72時間、私は結構心折れてました。。。総じて順調に行っているように感じるときこそ、気を引き締め警戒する必要がありますね。

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さて、私が精神的に困ったときに開くバイブルがあります。素野福次郎という経営者をご存知でしょうか?、素野は、TDK(当時は東京電気化学工業)がまだ社員4人の頃(うちと同じ!)、今で言うところのベンチャー企業だった頃からのメンバーで一貫して営業を担当し、松下電器など大手企業に販路を開拓、さらに積極的に工場の海外展開などを進めTDKを世界最大の磁気テープメーカーに育て上げた中興の祖です。

私はちょっと縁あってTDKで働いていたことがあります。これは当時社内で聞いた事ですが「1年に7回ボーナスがあった年があった」「入社数年の宣伝担当に現金数千万渡して渡米させスティービーワンダーと直接交渉してCM出演を承諾させた」「NASAから月面着陸の記録用の磁気テープの依頼があった」などなど、真偽は定かではありませんが凄いエピソードをいくつも聞きました。

松下幸之助が経営の神様なら、素野福次郎は営業の神様と言われ、知る人ぞ知る存在です。

そんな素野が社長時代に成長の秘訣を聞かれ答えたのが「企業は人間道場」という言葉です。当時TDKは急拡大で、多数の中途採用が増えていたそうで、素野は社内の結束を固めるため、社員教育を徹底したそうです。私が居たときにも、とても面白い社員研修をしていました。新入社員数人でチームを作り、仮想の通貨で竹と工具を買い、図面を引き、竹とんぼを作り、最期はプレゼンを行い、教育担当に選んでもらうというものです。
資金も時間も限りがあります、どの竹を選ぶか?、どんな工具を使うか?、そもそもデザインは、羽の加工どうすればより高く飛ばせるのか?、プレゼンはどうすれば?、たかが竹とんぼですが、その中には、仕入れ、開発、加工、販売、マーケティングと企業経営に必要なエッセンスが詰まっています。少ないチームで効率よく仕上げねばなりません。
チーム内で自然と役割が決まり、リーダーシップを発揮する者、ひたすら羽の加工に没頭するもの、プレゼン資料を作るもの、他のチームよりよい素材を持ってくる者など、役割が決まってきます。最終的にはチームワークが良いところが勝ちます。

素野は「私心なく働く人に部下は従う」「能力、学歴は関係ない」など、たくさんの語録を残しました。これは「修破離」という冊子(非売品)にまとめられ全社員に配られたと言います。営業に必要な様々なエッセンスが詰まっていて、今でも朝礼などで参考にする人もいるとか、私が居た時、幸運にも1冊頂けました。今でも私の宝物です!
私も迷う事があります。そんな時はこの冊子をパラパラめくってヒントを探します。

さて、この守破離という言葉は元々は仏教用語のようですね。「修」は師匠の御業を習って覚える段階、「破」はその習った技を自分の技として使いこなす段階、「離」はさらに自分流の工夫を加え師匠の御業を超える段階です。日本古来の師弟制度に基づくプロフェッショナルを養成するためのステップと言われてます。

私はこの「守破離」を自社の教育方針に取り入れています。と言ってもまだ数人の会社です。体系化された教育プログラムがあるわけではありません。医療の世界は奥が深いどこまでも深化出来ます。ただヒポクラテスの時代から受け継がれている医術の師弟制度と相性が良いと考えています。

そして我々は医療者の端くれです。医療者のマインドを理解し医療の世界で仕事する者の挟持を身につけるには、守破離の考え方はとてもシンプルで理解しやすいのです。

私は素野の言う「私心なく働く人に部下は従う」という言葉を信じ、日々私心なく働き、医療の世界を良くしてこうと思っています。きっと私の後をスタッフはついてきてくれると信じています。そしていつの時か、私と同列に並び、さらに加速し、そして追い抜いていってくれる。そんな守破離のある会社を実現したいと思っています。