津波が私の自信をすべて押し流した #311

3.11・・・津波が私の自信をすべて押し流した

2011年のあの日・・幸い大きな被害はなかったネットも生きていた、そこで目撃したのは映画のような大津波の映像。テレビの前で「早く逃げろ!」と叫ぶしかなかった、今思えばあの時から私の人生は大きく変わったと言っていい。

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それまでの私は名実ともに医療ICT推進に全力を傾けていた。医療界はIT化が遅れている。社会保障財源の増大を抑制し皆保険制度の崩壊を防ぐ特効薬だと信じて疑わなかったし、これに異を唱えるものは誰であろうと既得権者であり抵抗勢力であると徹底して戦っていた。でもあの日・・あの日を境に私の自信、信じてきたプランはもろくも崩れ去った。

私は何もできなかった、何もなくなった更地の街をテレビで見るしかなかった。一方、多くの医師や薬剤師が現地入りして避難所で活動を始めるニュースを知る。私の友人の医師や薬剤師も、災害派遣医療チーム(DMAT)の一員として自分のクリニックや薬局を閉めて現地入りしている。その姿を目の当たりにし何もできない無力な自分を恥じた。

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私は何も仕事が手がつかなくなった、出来ることと言えば、Twitterで寄せられる膨大な救援依頼の中からデマや嘘を精査し適切な人や組織に転送するくらい。こんなことしか出来ない自分が悔しかった、でもそれくらいしかできなかった。

医療ICTは役立たないのか?

被災地は携帯のアンテナ基地もことごとく破壊した、スマートフォンはあっても通信できないので役に立たない。現地の医療者からは、刻々と悲痛な叫び声が聞こえる。被災者は自分がどんな薬を飲んでいたのかわからないという、そこでTwitterで知り合った薬剤師らと協力し疾患ごとに多く処方される薬をリスト化し探せるようにしよう!、プロジェクトはわずか数時間で決まり、完成まで数日、会ったこともない人たちと協力し、出来ることを分担。驚くべきスピードで仕上げていく。それらは現地医療者のツールとして役立ったという。

被災地で使える「服用薬確認シート」
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/di/trend/201103/519025.html

まだ出来る!災害時でも利用できるアプリを作るんだ!、私は何かに取り憑かれたようにアプリ開発を企画する。日本の処方医薬品は約2万種、それをタブレットで検索する、しかも一切ネットワークが途絶した環境でもスタンドアロンで動き、ネットに繋がれば平時は自動で更新し情報は常に最新に保つ、そんな無茶な要求にエンジニアも巻き込み一つ一つ困難を技術課題を解決していった。

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医療ITとは・・・それを推進した自分を全否定された瞬間を目撃する

ある時、被災地のクリニックの医師の姿の映像を見た。今でも鮮明に覚えている。医師は瓦礫の中から、泥だらけの紙のカルテを掘り出し、綺麗に洗い、窓ガラスに貼り付けて乾かしていく、、、「これで患者さんの記録がわかります」そう医師は言った。電子カルテシステムは津波の海水に浸かり修復不能だという。私は膝から崩れ落ちた。結局、私が得意気になっていた医療ITは巨大な災害の前には無力であり、否定し続けてきた紙のカルテなどアナログなツールが日の目を浴びている。すべてを否定された気がした。それ以上に、限られた環境で必死に命をつなぐ医師の姿に心打たれた。

自己否定と無力感に心が壊れかける

日常を取り戻しつつある日々の中で、東京オリンピックも決まった。でも私はあの時のまま、エンジニアとして、医療ITに携わるものとして、もっと出来ることはなかったのだろうか?、あの時のような妙な高揚感はない自己否定と無力感だけが残った。大きな災害や事故から奇跡的に生還した人々を襲うサバイバーズギルト。そんな状況に近い、私は何をやっているのだろう?、迷いは日増しに高まる。ほんとうにこのままで良いのだろうか?

起業を決意、医療の世界に骨を埋める

東日本大震災から3年の2014年3月「もっと臨床現場で働きたい」私は愛着ある会社を退社を決意する。何か勝算があったわけではない、家族も居る、歳も40超えている。気軽に挑戦できるものではない、辛く険しい挑戦かもしれない。それでも、医療の現状、携わる多くの医療者の苦悩、そして被災地で更地になったクリニックで必死にカルテを探し、治療を続ける医師の姿が目から離れない。私は知ってしまった、変えられるのは今しかないし、そして変えるのは他の誰でもなく私でありたいと願った。私は自分が敷いたレールを外れる決断をした。

それでも確信はあった、私は多くの医療者同士が安心してコミュニケーションを取る専用ツールがないことを知っていた。コミュニケーションこそ人間の原点だ、ツールは道具でしか無い、プロ同士が安心してつながるツールを作ろう!そうして『メディライン』を作った。これから、訪問診療などで多くの医療者が外に行くケースが増えるだろう。メディラインを使ってほしい、私は、いつの日か、メディラインという名詞が動詞に変わることを願っている。「メディラインしとして!」と電話のように医療者なら誰でも使うツールを夢見ている。

まだ道のりは険しい、でも仲間とともにこの道を歩んでいきたい。いずれ自分も老いてくれば医療のお世話になる時もこよう、その時、若い医師がメディラインを当たり前に使う姿を見たい。

www.mediline.jp

今日生きたかった全ての犠牲者に黙祷